日本という国
1997年のこと。
結婚して、すぐに妊娠しました。
つわりがつらく、また、母が末期がんだったこともあり、なんだかとっても暗い妊婦でした。
名古屋の栄でぶらぶらしていたら、共産党の街頭演説がありました。
「私たちの子どもを戦地に送らない世の中にしよう」
びっくりしました。女性党員がヒステリックに叫んでいました。
おなかの子どもが「男の子」とわかったばかりだったので、敏感に反応してしまったのです。
それから、、、、、途中はかな~り省略して、
国歌をすばらしく斉唱でき、
立派な万歳三唱ができ、
「今年こそ、靖国へ行こう!」と毎年思い、
口当たりのよい「平和」を唱えるだけの人たちを嫌い、
だけれども、戦争のない平和な世界をのぞむ「私」という人間は、この時期になると「小泉さんが8/15に靖国に参拝するのか?」とか「A級戦犯は分祀しろ」とか、「侵略戦争だったことを認めて謝罪しろ(謝罪しよう!)」と聞くたびに、とても悲しい気持ちになってね。
極論として、「敗戦国に『正義』はない」し、「敗戦国なのに(敗戦国のくせに)、豊かになった」ことが「こと」を大きくしているんだな、と絶望的な気持ちになるのです。
それと同時に、戦後の日本をつくりあげてきた勤勉な先人には感謝と尊敬!
身の回りにこだわることも大事だけれども、「私」という人間は「日本(日本人)」なしでは語れず、それにこだわることは決して「危険なこと」ではないと思っています。
「日本という国家」にこだわる人たちに対して、「個性的じゃない」という人もいるけれど、そのような人たちこそ、どうしても「個性的」には見えないんですよね。
それこそ、着ているものにしろ、ライフスタイルにしろ。
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