title:巨人の木村拓也コーチのこと

2010年04月08日

37歳で他界するなんてね、、本当に悲しいです。

木村拓也さんは、宮崎出身で、私と出身校が同じなのです。
これは、私の想像する木村拓也さんのエピソード。

木村さんが入学したとき、私は大学1年でしたので、「4つ下の後輩」ということになります。
(余談ですが、俳優の堺井雅人さんは木村さんの「1つ下の後輩」です)

宮崎市の「公立の普通科」といえば、どこの高校も「進学校」でしたので
授業前にも「補習」、放課後も「補習」、夏休みも「補習」と
とにかく、勉強ばかりしていたわけです。(今はわかりませんが)
1年生になったばかりのときは、要領が悪かったせいもあり
「宿題」に5時間かかっていたときもありました。

そんな高校に入学したわけですから、木村さんももちろん
「野球で入学」したわけではないのです。

おそらく、宿題に苦しみながら部活を頑張っていたのでしょうね。

彼は旧・田野町出身ですので、市内の高校に電車にのり、
南宮崎駅から自転車にのって登校していたのでしょう。

当時は友達同士の冗談の中で、「田野町」出身の子たちは「田舎の子」として
「田野」というワードでからかわれることがありました。

田舎から進学校へ入学した「成績優秀でスポーツ万能」の彼は
きっと地元でも注目を集めていたことでしょうね。
彼のお父様は議員をやっていたので、特にね。

そんな高校ですから、甲子園に行けるわけなんてないんですよね、普通は。

だけどね、私が高3のとき、チャンスが訪れるのです。
スカウトマンが足を運ぶようなピッチャーがいたのです。
夏の県予選では準優勝で終わってしまいましたので、甲子園への夢は破れてしまいましたが、
ピッチャーのI君は巨人へ3位指名で入団。

学校全体が非常に盛り上がりました。
私も卒業式前にサインをもらいましたし、
購買部でI君のサイン色紙を売っていたと記憶しています。(もちろん、色紙代だけですよ)

私が卒業した、その夏、母校が甲子園に初出場することになりました。
このとき、木村さんは1年生です。
ベンチ入りしたのかどうかはわかりませんが、
私は同窓生として甲子園へ行くための費用を集めるボランティアをしたことがあるのです。
もちろん、わずかですが寄付もしましたよ。

進学校で勉強ばかりやっていても
野球のために集められた子たちではなくても
一生懸命やれば甲子園に行けるんだ! 

と、本当にうれしくてね。野球部は私たちの「誇り」です。
その中に木村さんがいたのですね。

私の息子は中1で、部活ではなく、クラブチームを選択しました。

「勉強はできなくても、とりあえず、野球で高校に入ってほしい」と
思う人もいるかもしれませんが、
私は「学生の本分は学業! 文武両道!」という考え方ですので
勉強も野球も手をぬかず、高みを目指すよう言っています。
実行できるかどうかは別として、そうあってほしいなと思っています。
そういうときに、いつも「木村さん」の話をしていたのですよね。

「文武両道」で野球をやる子たちの「目標(星)」になっていた木村さんは、
37歳という若さで他界し、本当の「星」になってしまいました。

テレビでノック中にガクンと膝がおれて倒れる瞬間をみました。
意識が回復するように祈りました。
亡くなったことをしり、涙を流しました。
私と木村さんの共通点である「高校時代」を思い出しました。
野球部の顧問の先生のことを思い出しました。
国語の先生で、いつもエロい話をしていたことも思い出しました。

きらきらと輝く池の端(はた)をぐるりとまわって通学した高校時代を思い出しました。

木村さんは私たち(同窓生)の誇り(自慢)でした。

なんだか、まとまりませんが、木村さんのご冥福をお祈りしています。














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