title:憲法9条改正に思いをよせて
2006年10月17日
「憲法9条を守ろう!」って、なんだか「いい人」っぽい。
↓↓↓以下、産経新聞の「産経抄」より
↓↓↓以下、産経新聞の「産経抄」より
アーミッシュと呼ばれる人々の存在を知ったのが、ハリソン・フォード主演の米映画『刑事ジョン・ブック』だった。独自の信仰と現代文明を拒否した暮らしを守り、理不尽な暴力をふるわれてもじっと耐え忍んでいた。
▼今月初め、米東部ペンシルベニア州にあるアーミッシュの学校に男が押し入り、少女5人を銃殺する事件があった。目撃者によれば、最年長の13歳の少女が他の子を助けるために、「私を最初に撃って」と男に申し出たという。
▼犯行後自殺した男の妻は犠牲者の葬儀に招かれ、アーミッシュの人たちに抱擁されたと、米メディアはその「絶対平和主義」を大きく報じた。確かに美談だが、似た内容を含んだ憲法をいただく身としては複雑だ。国民の安全に対して責任を負うリーダーの苦労は並大抵のものではないと推察する。近隣国が札付きの「ならず者国家」ならなおさらのこと。
▼安倍晋三首相が中国、韓国を訪問しているさなか、北朝鮮は地下核実験に成功した、と発表した。「危機をあおるな」と言い続けてきた人に聞きたい。これでも危機ではないのか。
▼靖国参拝をやめなければ日中関係の改善はない、と主張してきたメディアもあった。「行く行かない」の「あいまい戦術」を取った首相は、破格の厚遇で迎えられたではないか。韓国・盧武鉉政権の北朝鮮に対する「太陽政策」の破綻(はたん)もはっきりした。
▼東アジアの政治の潮流が変わりつつある。それをだれよりも実感しているのが首相だろう。思えば拉致の発覚は、平和に酔いしれていた日本人にとって、横っ面をはりとばされるほどの衝撃だった。事件への真摯(しんし)な取り組みによって、権力への門を開いた首相の、冷静かつ果断なかじ取りに期待したい。
Posted by siena at 17:50│Comments(0)
│日常のこと